前池と(旧)蓮池の間に伸びる二河白道を渡り、
黒門、仁王門をくぐり、来迎堂に達する石段は百三十七段。
極楽浄土にいたる階段を一歩一歩登れば、山頂に般若台が開けます。
そこは歴代藩主一族の墓所、国史跡に指定されています。
きわめて特異な法然寺の伽藍配置。
総門から来迎堂にいたる一本の道にご注目ください。
境内地全体(法然寺墓地を除く)は2019年、「高松藩主松平家墓所」として国の史跡に指定されました。
前池と(旧)蓮池の間に伸びる二河白道を渡り、
黒門、仁王門をくぐり、来迎堂に達する石段は百三十七段。
極楽浄土にいたる階段を一歩一歩登れば、山頂に般若台が開けます。
そこは歴代藩主一族の墓所、国史跡に指定されています。
きわめて特異な法然寺の伽藍配置。
総門から来迎堂にいたる一本の道にご注目ください。
境内地全体(法然寺墓地を除く)は2019年、「高松藩主松平家墓所」として国の史跡に指定されました。
お成り街道から法然寺の総門をくぐると、まず目に入るのが十王堂。堂内には閻魔王ら十人の王が迫力をもって並び、ここで亡者の生前の罪が裁かれる。これが冥土への旅の第一歩。次に二河白道(前池・旧蓮池)を渡る。
この門から先が極楽浄土だとして、古来特別な門とされてきた。珍しい黒塗り門に藩窯・理兵衛焼の柿釉風瓦が映える。現在の門は再建による。すなわち、ここにいたる参道が、仏教で説く二河白道。左に火の河(前池)、右に水の河(旧蓮池)が実際に広がる参道であったが、蓮池は埋め立てられ仏生山小学校グラウンドとなっている。
「法然上人一刀三礼の秘仏」と伝わる本尊が内陣厨子内に祀られている。諸行事の舞台として親しまれている建物で1911年再建。
本尊の三仏(阿弥陀・釈迦・弥勒)が、古くから知られる「讃岐の寝釈迦」を見守る。世にも稀な、涅槃図を実物大に立体化した涅槃世界が広がる。
第八世住職忠学上人には、お産で苦しむ女性を次々と救う不思議なお力が。以来、安産祈願のお堂として、お守り札授与が続いている。
初代藩主の悲願であった五重塔建立が、340年を経て2011年完成。法然上人800年・親鸞聖人750年大遠忌を記念して、現代の匠たちの技が結集した。
左右から睨みをきかせる一対の金剛力士像は1674年の作。門をくぐると万灯籠が参道両脇を埋め、極楽浄土へと伸びる一本の道が見えてくる。
毎夕、仏生山に鳴り響くおなじみの鐘。日本画家福田平八郎、歌人吉井勇の協力を得た「昭和の名鐘」といえるもの。
参道石段の終着点、ここはまぎれもなく極楽浄土。まばゆいばかりの二十五菩薩が楽器を奏で、天に舞い、浄土からのお迎えを体感できる。
歴代藩主ら松平家一族が眠る仏生山山頂の墓所。200基以上の墓が建ち並ぶ様は壮観。ふだんは非公開、藩主各ご命日のみ公開(年10日あり)。