1207年、浄土宗の祖、法然上人は75歳にして京の都から四国に配流となりました。小松庄(現まんのう町)生福寺に籠居し念仏を説かれること10カ月間、ここに法然上人の足跡が四国さぬきにとどめられることとなったのです。
時は移り江戸時代のはじめ、初代高松藩主松平賴重公は、法然上人の徳を慕って上人ゆかりの生福寺を高松に移し、藩主家菩提寺を開きます。名付けて仏生山来迎院法然寺。それはきわめて特色のある伽藍配置で、極楽浄土をこの世に現す寺として、また庶民に開かれた寺として、さぬきの人々の信仰をおおいに集めて今日にいたっています。